夕暮れの翼

バイセクシュアルの翼がこれまでのこと、今のこと、未来のことなどを含めて感じたことをそのままオブラートに包まず書ける様にと作ったスペース。

what is called love

 

人が最もよく使い、あるいは聞く言葉の一つだと思う。

 

事実、俺が産まれてから今までのたった23年の間でも

最もよく聞いてきた言葉の一つ。

 

愛にもたくさんの種類があるだろう。

 

家族愛に始まり、恋愛、

そこから枝分かれし、異性愛、同性愛、異性愛・・・etc...

 

種類に留まらず、ねちっこい愛とか(笑

 

ちょっと抽象的過ぎたか。

 

俺は家族を愛している。

その点で言えば、人間として健全な心を持ち合わせて育ったのだと思う。

 

自他ともに認める、感受性の豊かさ。

 

でも。

 

恋愛に関しては少々うとい。

いや、かなりかも。

 

かわいい子には目がなかった。

それは小学1〜2年生の頃から。

 

それを好きというのと勘違いしていたのだろうか。

 

中学の頃から昨年まで、何度か所謂“交際”ということをしてきた。

 

歴代の彼女や彼氏はみんな可愛く、かっこよかった。

 

それを勘違いしてか、『好き』とか『愛してる』なんて言葉を言ってみたりもした。

 

でも、今『本当に愛していたか?』と問われれば

とっさにYesとは言えない。

むしろ、Noの方に比重があるだろう。

今まで付き合って来た人たちには申し訳ないのだが。

 

“無償の愛”という言葉がある様に

相手の為に見返りを求めず尽くそうと思えることが

愛なのだろうし、それをお互いがやることを愛し合うと呼ぶのだと思う。

もちろん、それだけではないのだろうけど。

 

だから、余計わからない。

 

どうすれば人を心から愛せる様になるのだろう。

 

体の相性や顔、性格の相性だけじゃない何かが必要なんだろう。

 

どんなに一時の気の高揚で好きと錯覚できても、

目の前に相手より魅力的に見える人が現れたら

そっちに興味が行くような、そう言う気持ちが常にある。

 

愛とは、錯覚なのだろうか。

 

それを何度か友人という位置にいる人に打ち明けた事があるが、

『本気で愛された事がないんだろうね』

と言われた。

 

その通りだと思う。

 

念のためもう一度言っておくが、

家族には愛されて育ったし、愛している。

 

それと恋愛が違う事も認識している。

 

1人の人に夢中になれる感覚がわからない。

 

そんな自信もない。

 

 

かわいそうに見えるかもしれないけど、

生き甲斐は仕事。

 

趣味もある。

 

色んな事に興味を持ち貪欲に生きて行きたいと思っている。

人生は一度きりだから。

 

そんな中で、1人に絞るともったいないという考えなんだろうか。

 

自分でもよくわからない。

 

でも、わからないこと悩んでも仕方ないから、

もしこの先、人生でそういうかけがえの無い人に出会えたら

それはラッキーというくらいの感覚で

生きて行こうと思う。

 

 

ブログに書いて再認識したけれど、

自分は恋愛において 本当の愛に触れた事が無いのだと思う。